hide AND seek

ADHDの夫・3人の子供達との徒然主婦日記。

子供達との『命』への向き合い方

f:id:fukufukugoroku:20210713233637j:plain

 

これはあくまでも個人的な見解と価値観による、我が子に対する考え方とやり方である。正反対の方針や異なる考え方を批判しているわけでも、どちらが正しいという問題でも、推奨しているわけでも無いという事を最初に断っておきたい。

 

我が家では(というより、私は)子供達に何かを質問されたとき、適当に答えたり、はぐらかしたり、子供だましの体のいい答えをいう事はほとんど無い(もちろんゼロでもないが)。

なるべく現実的な話を年齢に応じて理解しやすいよう言葉を選び、ゆっくりときちんと話すようにしている。

何故、私がそのようにするのかというと、子供は大人が思っているより成長が早く、真実を受け止めて理解しようとする能力が十分に備わっていると思うから。

言葉がある程度理解できるようになったころからは、嘘や幻想ではなく、真実に基づいて丁寧に説明をした上で、希望や解決できるよう導いてあげれたらと心掛けている。

(※サンタクロースなどの娯楽的な夢やお話は別。)

 

そもそも事の発端は、多分私が幼少期の頃。

親に質問して返ってきた言葉や説明に違和感を感じることが稀にあった。

ゆくゆく自分自身で真実に辿り着いた時、親に対して嘘をつかれた不信感や疑念をわずかだが持ったことがある。

そして、大きくなった時にも、真実を知ったうえで質問した時に、はぐらかされたり曖昧な嘘をつかれて子ども扱いされたことが腹正しかった記憶もある。

親は、子に余計な情報や不安を与えたくない・まだ理解できないからと思っているのだろうが、そのほとんどが掘り下げてみると、『ちゃんと説明するのがめんどくさい』『子供に何て表現で伝えたらいいのかわからない』『どうせまだ理解できないんだから』など、結構、親都合なところが多いのではないかと思う。

だから私は話をする時、彼らを子供というよりは、一人の人間としてちゃんと話したいし向き合いたい。

 

そして、もう一つ今回のテーマでもある『命』について。

www.hattatsushougai-husband.com

 以前、こちらで少し触れたこともあるが、私には若くして亡くなった身内がいる。

子供達がある程度お話出来るようになったころ、その方の遺影や仏壇・遺品などを見て質問されることが度々あった。

『この(写真の)人は誰?』

『今どこにいるの?』

『どうして会えないの?』

まだ、1~2歳だった長女や息子からの質問は容易いもので

〇〇ちゃんはお母さんの○○(関係性)なんだよ。今はね死んでしまったから会えないんだけど、お昼間のお星さまみたいに、見えなくてもずっとそこにいて見守っててくれてるからね。

そんな感じで子供達に言い聞かせていた。

しかし、3~4歳になる頃には『死』というものについて彼らなりに発展していったようで

お母さんはいつ死ぬの?Rが大人になってもお母さんは死なないの?

お母さん死んだら嫌だーーー泣

何故私が死ぬことになっているのかは謎だが、何かの影響でその様に『死』が大切な母親にも起こりうることだと実感したようで、突然このように言われた。

この時に、『お母さんは死なないからね。ずーっとRちゃんやK氏と一緒にいるから大丈夫だよ』そのようにいう事は容易く、まだ幼い子供達を安心させ、まだ来ぬ未来をずっと母親と過ごせると希望を持たせてあげるのも一つの手段であるし、幼い子供にとってみれば一番望んでいる言葉なんだろう。

 

けれど、私はそのように言う事はしなかった。なぜなら、それは私にとって『嘘』になるから。

この世は残酷で、いつ誰にどのような不幸が降りかかるか分から無い。誰にもいつ死ぬか決めることは出来ないし知ることもできない。だからこそ考える。

『もし私が明日、来年、死んでしまったら?』

『ずっといると…死なないから大丈夫だと言っていたお母さんが突然いなくなってしまったら?』

『この子たちはその言葉を幼い頭でどう感じてどう受け止めていくんだろうか』

『もし私が死んでしまった時に、子供達の手元にあったはずの希望が崩れ落ち、残された悲しみと孤独と不安でいっぱいになり鬱になるかもしれない』

『その時に、この子達にとって何が支えになるのか』

 

私なりに考えた、子供達に今伝えれる真実と希望はこうだった。

お母さんはね、いつ死ぬかは分からないんよ。RちゃんやK氏とずっと一緒にいたいけど、もしかしたらおばあちゃんになるまでに死んでしまうかもしれんのよ。それはお母さんだけじゃなくて、皆そうなんよ。お母さんはおばあちゃんになるまで、ずーっとずっと一緒にいたいけどもしかしたら死んでしまうかもしれん。

死んでしまったら身体は無くなってしまうから目には見えなくなるんだけどね、ここ(心臓と頭)には“魂”っていうのが入ってて、死んだらお母さんは魂だけになって、ずーとずっとRちゃんやK氏の横で『(ぎゅーっと後ろから抱きしめながら)大好きよー!お母さんはここにおるよー!!』『がんばれーがんばれー!』『(頭を撫でながら)大好きだからね、幸せになるんよ~』ってずっとずっと応援しよるし、傍におるからね。
見えなくて寂しくなるかもしれないけど、お母さんはいつかお空でまた会える日まで必ず近くで見守ってるから。それを絶対に忘れないでね

 

実際の言葉より少し省略したが、こんな風に伝えた。

また、このようにも言った。

お母さんはね、死んでしまう事は怖くないんよ。RちゃんやK氏に見えなくなってしまうのはとっても悲しいけど、お母さんは死んでお空に行ったら〇〇ちゃん(亡くなった身内)に会えるのがとっても楽しみなんよ☺
だから、もしいつかお母さんが死んでしまっても、RちゃんとK氏がおじいちゃんおばあちゃんになって、いつかお空で会えるのを楽しみにしててね。お母さんはいつまでも待ってるからね!

だから自分の人生を思う存分に楽しみなさいと。

苦しい時にはお母さんが必ず傍にいて導いてあげるから、心で話しかけなさいと。

まだここまで理解できる年齢ではないかもしれない言葉も伝えた。

だって、いつ何があるのかは誰にも分からないから。

いつかお母さんがこんなことを言っていたと、うる覚えでも記憶の片隅に置いてくれていたら嬉しい。

 

こんなやり取りを何度かしているうちに、いつかパタッと聞いてこなくなった。

子供達なりに受け止めて一部だけでも理解してくれたのか。

 

『やさしさ』の在り方は人それぞれ千差万別。

そこには様々な考え方や取り組み方、表現の仕方があって、どれが正しいのかは誰にも分からないし決めることは出来ない。

だからこそ、私は私なりのやり方で子供達と真摯に向き合う。

私にとっての『やさしさ』とは、生きていく力や希望に導いてあげること。

それは、質問への応え方だけでなく、心身共に日常的に自立・自律へ導くこと。

(日常的な取り組みについてはまた後日☺)

 

どうか彼女たちがこの世の苦難を受け止め、乗り越えていく力を持った人間になれますように。

願わくば、彼女たちが成長していつかこの手に孫を抱ける日が訪れますように☺

恐怖の指タコ

f:id:fukufukugoroku:20210713134130j:plain

 

我が家の長女Rちゃんは、4歳を過ぎても指吸いを止められなかった。

よく、指吸いをしてると歯並びが悪くなるよ~なんて聞いてたけど、何を言ってもやめられない止まらない。

これまた厄介なことに、起きているときは基本的にしないが、眠たくなった時・寝ていて眠りが浅くなった時などにしているため本人も覚えてないことが多い。

 

お母さん!R、昨日指吸いせんかったよ!!

へ・・へぇ~凄いやん頑張ったね~
(めっちゃ夜中にちゅぱちゅぱ言ってましたけど・・・)

 

本人はどうやら本気でしてないと思っているよう。

これは本格的にヤバイと思っているところに、3ヵ月毎に行っている子供達の歯科検診でも『前歯を嚙み合わせた時に隙間ができているから、指吸いをすぐにやめさせるように』とのお達しが出てしまい、ガチで考えることに。

 

●4歳までに試したこと●

,指タコの固くなっているところを自覚させ、歯がガタガタになってしまうと説得(現実的過ぎていまいち実感なし)

,指サックの一番小さいやつ(ピンク色のキティちゃんが載っている)を買い、タコのところにフィットするようはめて寝る(本人は楽しんでいたが、うざくなると夜中に勝手に外して指吸ってる)

,指吸ってると鬼さんが探しに来るよと脅す(寝る前は怖がるが、寝てしまえばそんなの関係ねぇ)

,からしやワサビを塗ってみる(可哀そうで出来なかった・布団衣類に付くのが嫌・夜中に舐めて泣かれるのが面倒)

,絆創膏を貼る(夜中に吸いたくなると剥ぐ)

,手を握って寝る(就寝時には効果あるが、夜中は防げない・神経質な所があるので握った手が気になってなかなか寝てくれない)

,弟や妹に笑われるよ~と羞恥心をあおってみる(寝てしまえば・・以下略)

 

こんな感じで、2~4歳までは色々試していたものの決定的な効果は得られず。

やばいよ~どうしたらいいんだ~~
めんどくさいから即効性のあるものが知りたい・・・

 口調も顔も穏やかなのに破壊的な一言を放つ歯医者様のプレッシャーに負け必死で探す。そして、ついに・・・ついに見つけた。求めていたものを!!!

 それは、一冊の絵本だった。

f:id:fukufukugoroku:20210713143728j:plain

 調べてみるとかなり評価がよく、これは期待できそう!ということで我が家ももれなく購入。

 その晩、主人が末娘Cちゃんを寝かしつけてくれている間に、いつも通り長女Rちゃんと息子K氏に好きな本を選ばせて楽しく読んであげた。

そして、絵本を読み終えていつも通り2階に上がる準備をしようとしている二人に言った。

 

今日はね、お母さん、二人に読みたい絵本があるんだ~

え!?なになに~みたいみたい!!

みるみる~!!なんのえほん~?

これはね~前からお母さん、Rちゃんに指吸ったらいかんよ!て言ってるやろ?なんで吸ったらいかんのかが書いてる絵本なんよ。この女の子のお話なんやけどこの子も指吸いやめられんのやって・・・

そんな風に絵本へといざない、二人を座らせてゆっくりと絵本を読み始めた。

 

結果、あれだけ悩んでいたのが噓のようにたった一回の読み聞かせで完全に指吸いをしないように😢✨

半信半疑だったけど効果テキメン!!望み通り簡単で即効性のあるものでした。

 

が!しかし!!!

この本を読むときに、もともと雰囲気作りや抑揚をつけることが得意な私は、指タコシーンをガチでビビらせる為、声トーンを極限まで下げてゴテゴテの関西弁で読んだ。

関西に計6年ほど住んでいた私にはあまり違和感は感じなかったが、娘と息子はほとんど聞きなじみのない関西弁と絵本の気持ち悪さが相まって心の底から恐怖におののいたようだった。

絵本を読んだ直後から

Rは、もうぜったいぜったいぜーーーーーーったいに!もう二度と指吸わん!!!泣

もう指吸いせんから、その本捨ててーーーー!!!!大泣き

この日を境に指吸いをしなくなったものの、1か月ほど前に買ったロフトベッドの2階で怖がることなく毎日一人で寝ていたのに、ロフトに行くのを嫌がるようになり未だに一人では寝れなくなってしまった。

そして、息子が『指タコ・・・』というワードを一言でも言うたび

もう言わんとって!もう言わんとってー!!怒泣

とすかさず反応し、絶対的な恐怖の象徴になってしまったようだ。(絵本はメルカリで高値で即効売れた)

 

あまりにも怖がるので、絆創膏を貼って

これでお顔絶対に見えんから、指タコ無くなるまで貼ろう?

というと、それから毎晩自分でタコのところに絆創膏を貼って、何とか恐怖に耐えながらも一度も指吸いすることなく月日は流れ・・・

2カ月が経つ頃にはいつの間にか、あんなにカチカチだった指タコがほとんど場所もわからないくらいに薄くなっていた。皮膚の再生力半端ない。若いって凄いわー

未だに恐怖心は残っているものの、絆創膏は卒業し、指吸いを頑張って止めた事が少し自信へと繋がったようにもみえる☺

 

そして、もう一人恐怖におののいていたのが、息子K氏。

絵本を読み終えた直後から

指タコ怖い!指タコ怖い~~~!!!大泣き

と大騒ぎしているのだが、肝心の指タコが息子には無い。

うんうん、怖かったんよね~でもk氏は指吸いせんから指タコないやろ?だから絶対出ないから大丈夫よ

初めのうちはそう諭していたものの、無いものにおびえて一人でトイレにも行けなくなり、存在しないのに、指タコが!指タコがー!!と言いまくる息子に流石に辟易していた。

あんたには指タコ無いっていよるやろ!なんであんたの方がこわがっとるんよ

塩対応し続けた結果、次第に言わなくなっていたが、未だに指タコを怖がっている。

 

このように、本来の目的は達成したがビビらせ過ぎると思わぬ二次災害を起こし、地味に苦しむことになると言うことだけ綴っておく。

子供達の夢に指タコが現れない事を祈って。

 

GOODNIGHT🌙

幸せを運ぶカナブン

f:id:fukufukugoroku:20210712151538j:plain

 

ブログ第一回目の記事が、なぜカナブンなのか...

特に意味はない。

 

昨晩、主人の仕事の帰りをソファでのんびりと待っていた時だった。

突然。本当に降ってきたかのように突然、カナブンが我が家の台所に飛び込んできた。

一回、感電したんじゃないかな?というくらいバチバチと音を立てて電気にぶつかりながらも、なんとか飾り棚のカーテンに着地してど真ん中に陣取って動かない。

 

・・・・・・・

突然飛んできて暴れまくっていたから、一瞬Gかと思ったし。

もう・・・ほんと勘弁。

てんとう虫とダンゴ虫以外、触れない身からすると正直どっちもno thankyou☺

不幸中の幸いにも、主人と結婚してから何故か、虫たちがこぞって主人が在宅orもうすぐ帰宅という状況で現れる。

 

微動だにしないカナブンと我慢比べしていると主人が帰宅した。

リビングに入ってきた彼へ無言で目配せ+異様な雰囲気に、Gが出たかと察して一瞬後ずさる夫。

 

・・・・(目配せと眼力でカナブンの位置を訴える)

・・・か

 

 

かわいい~~♡

はッ?!?!!!

 

そのあと、カナブンが突然現れた事や、死ぬほどびびったことを懸命に訴えたが

カナブンに対して可愛いという感情を抱く彼に対して通じるはずもなく。

無言で携帯をポチポチし始めたかと思えば、おもむろに

カナブンが突然飛び込んでくるのは幸せのお知らせらしいよ

一人でのんびりとくつろいでいたところに物凄い勢いでカナブンが飛んできた時点で

幸せではないのですが・・・

 

調べてみると、カナブンはスピリチュアルの世界では「幸福」の意味があり幸せな事が起きる前兆と言われているらしい。

これがコガネムシだった場合にはまた少し違い、お金が流れ込んでくるというメッセージらしいが、そもそも虫嫌いの私に違いが分かる筈もなく。

 

そんなことなら2匹でも良かっ・・・

 

 

カナブンとは関係ないが、大切な身内が亡くなってから何故か蝶々(特にアゲハ蝶)が年中構わず現れるようになった。

そして、その蝶々はほとんどの場合、私や子供達のすぐ近くを何度も旋回したり、顔にぶつかりそうになるまでこちらに向かって飛んできたり(何故かこっちがよける)

ある時には、私や子供達の肩や頭に止まったこともある。

その場所に最初からいたわけではないのに、いつも不思議とどこからかフラっと現れて近づいてくる。

 

これも調べてみると、蝶々はとても波動の高い生き物で、亡くなった方の何らかのメッセージや虫の知らせなどを伝えてくれているということだそう。

それを知ってから、蝶々を見るたびにその方が私達を見守ってくれているのかなと温かい気持ちになる。

虫は苦手なんですがね。

 

ひとまず、カナブンが運んで来てくれたであろう幸せが訪れるのを、今か今かと心待ちにまた明日も頑張ります。

 

GOODNIGHT🌙